3年間の日本研修について、食事をしながらお話をうかがいました。
雨の降る中、17名の方達が府連事務所に集まりました。
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参加者の感想
前日は古井さんに紹介してもらったベトナム料理教室に参加しました。
実物の岡田ハン先生も、料理の盛付けも綺麗で、味もぐぅ〜でした。
のりえさん、ゆかさん、やすこさんにも感謝!
翌日は入会後初の、ベトナムサロン(タンさん送迎会)に参加しました。
小豆島さんのMCと、ももき先生とりーさんのW通訳で、タンさんに日本、台湾、韓国での仕事やギャラ、貯金など現実的な話から、日本での恋愛話(タンさんシャイで、真相は語らず)までインタビュー。
貯金は3カ国(9年間)で約○○○万円程あり、半分はお母さんにプレゼントしたとの事。タンさんエライ!
ちなみに、帰国後まず食べたいのは犬でした?日本で散歩してる犬も美味しそうに見えてたのでしょうか???
日本がいちばん良かったと言ってくれた、タンさんとの
出会いにも感謝!
帰りには、山本さんが持ってこられた、生春巻きがぐぅ〜だったので、いかりスーパー(JR大阪駅構内)で買いました。
by いりりん
それからのタン
6月29日ベトナムサロンで、タンさんの話を聞いた。感想文も寄せられた。その後、彼と2回にわたって話をした。ようやく彼の本心が出てきたと思った。
日本にいる間に発表すると、彼にいろいろ問題が生じるかもしれないので、控えていた。彼はすでに帰国したので、文章として発表することにします。
コンセプトは、「日本が一番良かった」という彼の発言について、サロンではなかなか気持ちが出ていないな、と思っていたのです。そのことについて、確かめたいという気持ちがありました。そして、最も大事なことを聞きました。
韓国、台湾、日本、3つのうちで、雇用主(研修先の企業)の社長は、日本が一番悪かったというのです。怪我をした後は皆さん見せてもらいました。右胸上部にプレスの破片が突き刺さったのです。取り出すために肺の下から大きな手術痕を残しての手術が行われました。その時の入院について、企業主は何もしてくれなかった、というのです。入院している間まったく給与もなし、入院費用は、仲介の企業体(ここでは名称は伏せます)が払ってくれた。しかし、・・・「仕事中の事故なのに、何もしないというのはどうなんでしょう。」日本語がもうひとつうまくない彼が言いたかった言葉を想像しました。
現在のベトナムの研修生の制度は日本が考案したもので、日本で働くということに政府が規制をしているというのが実態でしょうか。このような事故に対して、研修生の受け入れ先の企業のその責任があいまいになっているのではないかという気がしてきました。曲がりなりにも、仲介した企業体が入院費を支払ったということで最も最低限のことは保障されていたと安心はしました。しかし・・・本人の気持ちはそれでは満たされなかったのです。それから、約3年間、彼には我慢の連続であったのでしょう。
帰国間際になって、ようやく話相手が(ミーさんのこと)できて、そのつながりで、友好協会のメンバーと知り合って、日本にもこんな人たちがいたのか!という驚きと感謝が、「日本が一番良かった」という言葉になっていたのだろう、と想像するのです。
彼は日本での生活の愚痴を話してくれましたが、ひとつだけ紹介します。
来たばかりの頃、社長は言いました。「会社の仕事と自分の部屋と、往復するだけでよい。他の日本人とはあまりしゃべらないように。他の研修生ともしゃべる必要はありません。仕事をしっかり身につけて、ベトナムへ帰ってください。」それで、彼は3年間、どこにも出かけることなく、大阪の平野区にひっそりと暮らしていたのです。
多くの研修生派遣企業や受け入れ企業にはこのようなことはないものと信じますが、企業と研修生の間に持ち上がる様々な問題に私たち友好協会も立ち向かわなければならないと確信した次第です。
6月29日のサロン担当 小豆島