このページの作成日:2008年9月5日 このページの最終更新日:2008年10月11日
旧女性囚人のキェウ・ツ 日本へ行く
9月26日ホーチミン市
旧女性囚人で、これまで何度もホーチミン廟(ハノイ)を参拝する目的で、ベトナム南部から北部まで自転車を漕いだフィン・ティ・キェウ・ツさんは、日本ベトナム友好協会大阪府連合会の招待で日本に向けて出発しました。
ホーチミン市戦争証跡博物館の副館長フィン・ゴック・バンさんは、同じ飛行機でキェウ・ツさんと同行しました。バンさんによると「日本の親しい友人達は、キェウ・ツさんが困難を気力で乗り越えたことにあこがれている」とのことです。このベトナム女性傷病兵達の手本であるツさんとつながりを持つことで、日本人が積極的に生きる原動力のきっかけになってくれることを、彼女たちは希望しています。
フィン・ティ・キェウ・ツさんは、1969年に捕まりました。数年、数ヶ月に渡って刑務所内で野蛮な拷問を受け続けた後、彼女は身体上に重い障害を残すこととなりました。
2004年癌の末期段階であり、もうあまり長く生きることは出来ないと考えたキェウ・ツさんは、ホーチミン廟を参拝するため、自転車でホーチミン市からハノイまで行くことを決意しました。
そして今、キェウ・ツさんは、時々左手が麻痺するので右手で傘を持つように運転して、合計5回のベトナム自転車横断を実現させるに至りました。
T.ツュック(この記事の執筆者)
日本語訳:府連 中西寿夫
ベトナム戦争語り部THUさん、自分の経験を
29日、招待実行委員会主催の「ベトナム戦争の真実」の集いが行われました。
体験者のTHUさんは、自分の体験に基づいて、ベトナム戦争というものを振り返りました。
日本人で、太平洋戦争を語る人も、実は、最初は、なかなか自分のことを語れません。「自分だけが生き残った」「死んでしまった人に申し訳がない」・・なかなか自分の体験を語ることができないのですが、それと同じで、ベトナム戦争の体験者だって、それを語ることは大変な苦労なのです。
多分、THUさんは、始めて日本に来たことで、初めて明かす体験があったと思います。
戦争証跡博物館で、Thuさんの話を聞いたことのある人たちは(私もですが)今回の話は、初めてでした。
まず、自分の家族のことを話してくださいました。また、拷問のひとつについて説明してくださいました。自分が受けた拷問を他人に話すことは、とても大変だと思いました。思い起こすだけでも身震いすることであったでしょう。とても貴重な話をされた後、平和が大切だ。それをホーチミン市からハノイへ自転車で旅しながら、訴えていった、なんと気の強い人だろう。でも小さな女性です。
大阪府連 小豆島
講演会の概要
9月27日(月)の夕刻、実行委員会の主催で表記の講演会がありました。戦争証跡博物館副館長のバンさんのお話しと、ホーチミン市から自転車でホーチミンルートをハノイまで(途中では交通事故で10日も足止めされながら)行き、ホーチミン廟のホーおじさんを38回も訪ね元気をもらって、帰りもまた自転車でホーチミン市までという大旅行をやり遂げ、現在は戦争証跡博物館で平和の語り部として活躍しているツーさんのお話しがありました。
バンさんは枯葉剤の被害が現在も続いていることと、アメリカに対して謝罪と被害の補償を求めて訴訟を起こしたが敗訴した、これからも引き続きがんばるので応援して欲しいという趣旨の話しをされました。
ツーさんの場合、「お話しの内容」というより「どんな女性だろう?」ということに関心があったのですが、予想通りの方でした。通訳のブーさんが一生懸命に話の内容を伝えようと努力しておられたおかげで、短時間でしたが何とか様子が分かりました。最初に自転車の乗り方の実演をされたのですが、不自由な左手を上手に使って(つまりサドルに置いてバランスをとる)右手でハンドルを握って会場内を1周されました。この自転車乗りは出獄してから傷ついた身体を直すためもあって練習して身につけた技術だそうです。
革命家の家に生まれた彼女は小さいときから見張りなどの役割を演じつつ、15歳で解放戦線に参加、17歳で政府軍に捕らえられました。長い髪の女学生の身なりでショルダーバッグに地雷をしのばせて入り、ある建物にしかけた時、36秒後に爆発するスイッチを入れたときに同胞のベトナム人の姿を認めたので早く逃げるように大声を出したために逮捕されたそうです。
それからはさまざまな拷問を受けながら国内の8箇所の刑務所を転々と回され、有名な「トラの檻」にも入れられたとのことです。パリ協定後の捕虜交換の際にも約5千名が交換の対象となり出獄したのに彼女ははずされていたので、自分がまだ残されていることを出獄していく仲間の所持品にしのばせて書き送り、そうした努力が実って出獄することができたそうです。
とにかく楽天的というか、何ものにもめげない姿勢が印象的です。身体中ガンに侵されていることを感じさせない明るさ、にこやかな表情でのお話でした。また来日して間もないのに、「こんにちは」とか「ありがとう」という日本語を一生懸命に話そうとする姿勢にも、また彼女に自転車をプレゼントされた方や、実行委員会の植田さんや梅田さんの名前を覚えてお礼も言っておられた一途という思いにも感じるところがありました。彼女のお礼の言葉に対して「ツーさんが以前よりも若くなったように見える」という発言もありました。希望や目標を持って生活する事が大切なんだということも学びました。
お話のあと、イラン人で自転車で世界一周の「平和と環境」を願う旅を続けているカップルの挨拶もあり国際交流の輪が広がりました。最後には「自由ベトナム行進曲」を全員で歌って散会しました。
大阪府連 今西
バンさんとツ-さんの話しを聞いてみませんか?日時 9月29日(月)18時30分から | ||
以下は今回の案内です。
17歳の戦争から学んだ平和を伝えたい(ツーさん)
1950年生まれ、15歳で南ベトナム解放戦線に参加。17歳で政府軍に捕らえられ、コンソン島刑務所(トラの檻)にも収容された。
拷問や虐待から辛くも生き延び、1975年戦争終結。左手に障害が残るも新しい国づくりをめざす。
現在、ホーチミン市の戦争証跡博物館でベトナム戦争の語り部として、来館者に戦争体験を伝える活動で活躍中。
ハノイのホーチミン廟をめざして単独で自転車旅行。その道中、各地の学校などで平和や枯葉剤の被害の訴え。彼女の自転車旅行は、マスコミでも紹介され、茶の間の人気者になっています。
枯葉剤はいまも新生児に深刻な影響を与えています!(バンさん)
バンさんは、ホーチミン市の戦争証跡博物館副館長。アメリカの戦争犯罪を暴くというテーマから世界中から戦争をなくすというテーマに重点を移す。ベトナム国内での外国人入館者が最も多い博物館です。
戦争被害者の語り部コーナーの設置、枯葉剤被害者支援を続けるなど多機能博物館の責任者として活躍。
京都の立命館大学平和ミュージアムで10月6日から開催される第6回国際平和博物館会議へ出席のため来日。
戦争証跡博物館は、戦争の悲惨さと平和の尊さを世界に発信しています。
主催:ツーさんバンさん招聘実行委員会
呼びかけ人:小豆島正典(日ベト協会大阪府本部)、川本幹子(新婦人大阪府本部)、植田晃子(大阪母親連絡会)、梅田章二(国際法律家協会)、植田保二(大阪労連)、岩橋祐治(京都総評)、井ノ尾寛利(奈労連)、丸岡英明(滋賀県労連)、竹内正次(和歌山県評)、山本邦夫(兵庫労連)、中井文一(近畿電力センター)、薮田ゆきえ(大阪労連女性部)
連絡先 06−6353−6421(大阪労連 植田)
06−6942−7860(大阪中央LO 梅田)
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