日本ベトナム友好協会大阪府連合会/ハノイ通信2010年9月

おしらせ

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★2010/09/27 タンロン・ハノイ遷都千年祭に関しての情報です

2010/10/01~2010/10/10まで、ハノイでは<タンロン・ハノイ遷都千年祭のイベント>が各地で行われます。大規模なイベントなので、期間中は大混乱・大渋滞すると言われています。

イベントに行ったり参加したりする人は、特に、移動方法や移動時間に注意が必要だと思います(タクシーはすでに電話で呼ばないと、つかまらなくなってきたそうです)。

遷都千年祭の期間についての詳しい情報が、不足していたのですが、今日まわってきました。でも、情報源がどこが分からないのだそうです。書いて下さった方に許可を得ていないのですが、日本語の情報が行き届いてないこともあるので、勝手に掲載させてもらうことにしました(▼印などを追加させてもらいました。ごめんなさい…)。

※ベトナムは、情報がよく変わるので、すべて信じないでください!!

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▼2010年10月1日(金)
朝5時から昼12時まで交通封鎖という情報が警察のホームページにて発表がありました。以前は交通規制終日でしたが、今回の発表では午後解除されるようです。しかし、夜21:00PMからのホアンキエム湖花火があります。交通規制はされないということかもしれませんが20:00PM頃からホアンキエム湖周辺見物人で大渋滞予想されます。水上人形劇とセンディング注意が必要です。

▼2010年10月3日(日)も交通封鎖対象日として追加になりました。バーディンエリア並びにホアンキエム湖エリア交通封鎖は下記の日程時間で行なわれます。こちらも3日、7日、10日と終日規制ではなくなったようです。

(1)2010年10月2日(土)20:00PMから翌日3日(日)12:00PMまで(練習)
(2)2010年10月6日(水)20:00PMから翌日7日(木)12:00PMまで(練習)
(3)2010年10月9日(土)20:00PMから翌日10日(日)12:00PMまで(本番)

▼上記期間と時間では(添付ご参照下さい)
■赤いライン:全ての車両(自転車も含む)通行禁止です。徒歩のみ。バーディンエリアは一般人入場禁止。ベトナム国民に対してはテレビで軍事パレードなどご覧下さいとベトナム政府よりお願いの発表がありました。

■青いライン:16席以上の車両通行禁止です。(トヨタハイエース、ベンツスプリンター、フォードトランジットまでOK)日程時間内に空港へ出発するお客様へは遠回りして空港行かなければならない為、センディング注意お願いします。また、25席、45席バス入れない、出れないホテルもありますのでバスが停車できる場所まで歩いて頂くか小型車を用意してピストンする必要が出てきます。小型車を用意した場合の費用はそれぞれのツアーでご確認下さい。各ホテル側もどのような状況になるか見えていないようです。ようは当日になって初めてこうしたか!だからこう対応しようという感じです。まさに、行き当たりばったり・・・。

例:サイゴン-ハノイホテル、モーベンピックホテル、メリアホテル、ホアビンホテル、メトロポールホテルなどは交通規制時間ホテル前に25席・45席バス停められないと思います。デウー、ヒルトン、ソフィテルプラザ、日航ホテル、ホライゾンホテルは、ホテルまで繋がる道が1本だけ確保されているようで何とかなりそうですが、市内には入れません。

また、交通規制に挟まれた旧市街内のホテルでは交通規制時間帯はチュンズン橋から郊外に抜けるしかないかもしれません。赤いライン内に住んでいる人は身分証明書の提示が必要とのことで、下手すると外国人旅行客もパスポートなどの身分証明書の携帯が必要かもしれません。

▼レストランに関して、規制エリア内レストラン、2日、6日、9日夕食、翌日3日、7日、10日昼食は避けて下さい。

例、シーズンズオブハノイ、カイズブラザーズ、ザファースト、リトルハノイ、パリデリ、プレスクラブ、ソフィテルプラザ、シェラトン、インターコンチネンタルホテル宿泊者以外はフォレスト・センホータイはNGにしましょう。日航ホテルからフォレスト食べに行くと片道約1時間かかるかもしれません。25席・45席バス不可:インドシン、ジンジャー、ソフィテルプラザ、インターコンチネンタルホテルやシェラトンホテルに宿泊している方はフォレストやセンホータイにして下さい。オーデリスやレトンキンなど市内レストランで食べると片道約1時間かかるかもしれません。

▼観光地に関して
文廟、25席、45席バス行けません。水上人形劇、2日、6日、9日の18:30PMまでOKですがそれ以降の20:00PMからの公演は手配NGとした方がベターです。相当歩かないと水上人形劇行けないことと、人が混んでいて劇場まで到着できないかもしれません。20:00PMでないと見ることの出来ないツアーは別の水上人形劇場を利用予定です。ホアンキエム湖、玉山祠も規制時間、3日、7日、10日午前中は観光行くの止めた方が良いです。

ホーチミン廟、一柱寺、ホーチミンの家、タンロン遺跡、軍事歴史博物館、美術博物館、鎮武館、鎮国寺、歴史博物館、革命博物館、ハノイ大教会など、交通規制時間観光できません。また、バーディン広場にあるホーチミン廟やホーチミンの家、一柱寺、タンロン遺跡は交通規制時間以外も一般の方入れない可能性が高いです。

▼最後に、この時間外交通警察から指示があった場合従って下さいとのことです。ようは、当日封鎖時間延長、封鎖場所増加もありうるということです。

▼序にシクロ会社に確認をしました。
ホアンキエム湖周辺通行できない日程時間(旧市街内部での走行は規制時間内でもOKとのことです。)
・10月1日(金)5AM-12PM
・10月3日(日)6AM-12PM
・10月7日(木)6AM-13PM、19PM-23PM
・10月10日(日)朝のみ

▼以上、今後もどんどん交通規制場所・時間当日まで変更してくるかと思いますが現在入手できた情報をご報告とさせて頂きます。

===

情報を書いてくださった方、知らせて下さったTさん、本当に本当にありがとうございました。

★2010/09/22 大家さんの愛しい子犬たち(5)

P9212553.jpegあたらしい子犬は、パグ犬だった。

生後4ヶ月。眼球はまあるまるしてて、今にも落っこちそうで、くちゃっとした鼻はしっかりと濡れている。自分の鼻の先を、その黒々とした鼻にくっつけてみる。子犬の匂いがつよくした。動きが何となく陽気だし、前の子よりは元気そう。

子犬を抱きしめたり、なでたりしながら、Lさんのことを聞いてみた。ときどき、彼と電話をしているようなのだ。

「最近、Lさんどう?」「奧さんが家に帰ってこないって」「どこにいるの?」「実家。まだ怒ってるみたい」。

あれから一ヶ月半がすぎた。奥さんは、まだ怒っている。きっと許せないんだと思う。一時的に浮気されたのではなくて、結婚そのものが浮気だったようなものだから。それでも、Lさんと奧さんの「離婚」を、大家さんを含めて誰もがぜんぜん望んでいない気がする。結婚でつながってしまったから。子どもを授かったから。子どもがちいさいから。まいにち成長しているから。

「Lさん、ここに来てるの?」「ときどき」「だいじょうぶ?」「長くはいられないけど。ほんの少しね。三十分とか」

愛は、どうしようもない。Lさんの気持ちが、純粋で忠実なものであればなおさら、どうしようもない。

あたらしい子犬の匂いをもう一度かいで、わたしはパグ犬の写真を撮った。

(おわり)

★2010/09/21 大家さんの愛しい子犬たち(4)

P9212545.jpegベトナムの普通の民家で、隣人に頻繁に出入りしている人や、その関係性を、隠したままでいるのは不可能だ。隣人どころか数件先にまで知られてしまう。そのおばあちゃんも、大家さんとLさんの関係は四年前から知っていた。

ベトナムの女性が、いくらノイニエウ(おしゃべり)と言っても、普通なら「知らない」と言うのだろうと思う。大家さんもLさんも、人から嫌われるような人ではなかった。でも、おばあちゃんは、喋った。ぜーんぶ喋った。ことごとく喋った。たぶん、お金をもらったのだと思う。おばあちゃんは貧乏だった。

それからの数日間、大騒ぎだった。Lさんの奧さんとその奧さんの友だち、Lさん、大家さん、大家さんの友だちが家に集まって話し合ったとき、一階のリビングから三階のわたしの部屋にまで、次々に激しい声が聞こえてきて、それらの声がときどき狂気の色を帯びているものから、心配になった。

話しあいの結果、大家さんとLさんは別れさせられた。話しあっても、大家さん(とLさんが)が不利なのは目に見えていた。大家さんが主張できたのは多分「関係が始まった時はどちらも独身だった。もし、Lが結婚していたら関係を始めなかった」ということだけだ。

「もう会ったら、いけないって」。大家さんが、子犬をなでながら無表情に言った。

その二日後、子犬が死んだ。原因はわからないけれど、あっけなかった。

「悲しいことが二つあった」。大家さんが真っ白い足をなげだしながら言った。「わたしね、今まで三人の男性を好きになったの。前の夫と、その次の恋人と、そしてL。夫と前の恋人は、あまり好きじゃなかった。夫が死んだときも、前の彼氏と別れたときも、平気だった。悲しくなかった。でも、今は悲しい。すごく悲しい」。

きょう、あたらしい子犬がやってきた。「犬はもう飼わない」と言っていたけれど、3,000,000ドン(約15,000円)で買ったらしい。

(5)に続く・・・

★2010/09/20 大家さんの愛しい子犬たち(3)

P8038920.jpeg「Lはね、いつも私に会いたがるの。一日でも我慢できないみたい。奧さんとは、愛しあってじゃなくて、仕方なしにした結婚だったから、今でも、ほとんど寝ないの。むこうが求めたときだけ寝るのよ。今もわたしとの方がいいの。わたしを愛してるの」。

わたしの部屋は三階で、大家さんは五階だ。なにか聞こえてきたらどうしよう、と心配しつつ(といっても、二階はベトナム女性が住んでいてときどき彼氏が泊まっていくし、四階はフランス人とベトナム人のカップルが住んでいるから、わたしの部屋は、深夜も朝方も、ずっとラジオか音楽が流れている)大家さんの断言と自信はすごいと思った。誰よりも自分が愛されているー。そんな風に堂々と思えるのは、それが心からの気持ちであれば、素晴らしいことだと思う(わたしも奧さんのいる人を慕ってしまったことがあるけれど、大家さんみたいに思える気配や予感や希望は、米粒ひとつ分もなかった。結婚しているーあるいは彼女のいるー男性を慕うのは、しないですむならしない方がいい。想いや考えごとが負の色をおびて、こころと身体に良くない)。

人前ではいつも、Lさんは大家さんのことを「chi(チ)ー年上の女性を呼ぶときの人称代名詞ー」と呼んでいた。でも一度だけ「em(エム)ー年下や女性の恋人を呼ぶときの人称代名詞ー」と呼んだことがあった。呼んだ瞬間「はっ」という空気が流れた。きっと恥ずかしかったのだと思う。

15歳以上、女性が年上でも、恋人になるとちゃんと「em」になる。ベトナムと愛だ…と改めて思った。大家さんが、Lさんのことを「anh(アイン)ー年上の男性や恋人を呼ぶときの人称代名詞ー」と呼んだところは聞いたことがないけれど、ふたりでいるときは「anh」「em」と呼びあっていたのかもしれない。

でも結局、奧さんにばれた。あたらしい子犬がきて、二、三日後だった。

奧さんが怪しみ始めたきっかけは、大家さんのせいではなくて、Lさんの新しい仕事のせいだった。不動産屋のスタッフに雇ってもらったLさんは、それまでの生活リズムが一転した。物件を見たい人や、その物件のオーナーたちは、平日やデイタイム以外の時間帯を希望することがあって、だからLさんは、日曜日や夕方以降の出勤が多くなった。それまでは、夕方には必ず帰宅して日曜日は必ず家にいたのに、突然変わったものだから、奧さんが怪しみはじめて、とうとう探偵を使ったのだそうだ。

Lさんのバイクを追っかけてきた探偵は、わたしの家をつきとめて、そして隣に住んでいる、おばあちゃんから事情を聞きだした。

(4)に続く・・・

★2010/09/19 大家さんの愛しい子犬たち(2)

P8038900.jpegわたしがここに引っ越してきた頃、もちろんLさんは毎日、この家に通っていた。滞在時間はその日によって(あるいはその時の仕事によって)違ったけど、月曜日から土曜日まで、仕事がある時もない時も、雨の日も冬の日も、この家にきた。そして夕方には、かならず自分の家に帰っていった。定刻だった。奧さんに怪しまれないように、大家さんがそのようにさせていたのかもしれない。

Lさんがこの家に、一日中いる日が続くとき、お給料はどうなっているだろうと思ったけれど、大家さんが少しだけ渡していたようだ。100ドルほど。「この家のことを良くしてくれるから、一生懸命してくれるから。Lは一度も、お金を要求したことないのよ。一度も」。

奧さんにばれないのかと思ったけれど、ベトナムは、給料の銀行振り込みは普及していないし、給料明細書がないのも珍しくない。奧さんもお給料があるので、Lさんの家庭では、あまり問題にならなかったのかもしれない。

Lさんが来ると、すぐにわかった。煙草の匂いが、わたしの部屋にまで立ちのぼってくるからだ。ああ、大家さんの愛しい子犬が今日もきたんだな、と思った。こうやって書くと、たいそう嫌みだけれど、でもどこか、そんな風なのだ。人と犬のように、美しい関係だったように思う。Lさんは大家さんのことが大好きで忠実で誠実で、大家さんは束縛しすぎない大きな愛で彼を大切にしていた。

大家さんは美人だ。長身でほっそりとして色白で、お腹はすこし出ているけれど、小高い鼻が上を向いているのと、大きな目が少しはなれているのが、魅力的だ。気が利くけれど動作は何事もゆっくりしている。ベトナムの女性にしては質問も少ないし余計なこともあまり言わない。

一方、Lさんは背が低くやや細身、スポーツ刈りの頭にはすでに白髪が混じっている。無愛想だけれど笑うと目がたれて、間寛平みたいになる。手先が器用で、家のリフォームや修理やメンテナンスや日々の掃除なんかを、小まめに真面目にしてくれた。

嫉妬することにおいても、その小まめさと真面目さは発揮されていたようで、日曜日や夜、大家さんによく電話をかけてきていた。「今どこ?」「何してるの?」「誰といるの?」「どこに行くの?」。ベトナムでは嫉妬する行為は、愛の代名詞でもあるから驚くことではないけれど、大家さんは「奧さんに迷惑かけることはしたくないから」と言って、電話も嫉妬もしなかった。

いちど、大家さんからちょっと驚くことを聞いた。

(3)に続く・・・

★2010/09/18 大家さんの愛しい子犬たち(1)

P8038898.jpegうちに子犬がきた。家に帰ったら突然、かけよってきたのだ。よろよろと小さい四本の足で。先月、八月のはじめころだった。

「チオーイ、子犬!どうしたの!?」「うん。買ったの」「チが?」「Lがさいきん来れないし、寂しいから。きれいでしょ」「うん!」。

チワワ犬だった。2,000,000ドン(約10,000円)で買ったらしい。小さくてかわいいし品があるし、子犬の匂いがふんわりするし、本当にうれしかった。

わたしの大家さんは49歳の独身だ(ずいぶん前に夫を亡くしていて、娘さんはドイツに留学したままだそうだ)。Lさんは、34歳で大家さんの彼氏だ。二、三ヶ月前ころから、Lさんの仕事が変わって、以前のように会えなくなったから、大家さんが寂しくなったのだそうだ。さいきん寂しそうだなとは感じていたけれど、犬を飼うまでとは思わなかった。

大家さんとLさんは、四年前に知り合って、つきあいが始まった。Lさんは、大家さんの家に「入り浸る」ようになって、とても好きになって、だから大家さんと結婚したかったらしいけれど、女性がひとまわり以上も年上で、一度結婚していて、しかも子どもがいるとなると、まわりから大反対されるし、反対された結婚生活を維持するのはこのベトナムではとても大変なことだし、しかも大家さんも、Lさんのことは好きだったけど、以前の結婚生活の経験から「結婚だけはもうこりごり」と思っていたものだから、結局、Lさんは違う女性と結婚することになった。

高校の先生をしている二十代半ばくらいの女性と結婚したらしい(このあたり、とてもベトナム的だと思う。好きあっているのなら、他の人と結婚しなければいいのにと思うけれど、「結婚」ーしかも「みんなから祝福される結婚」ーをしないで日々を過ごすのは、ここでは至難の業なのだ)。

そのLさんの結婚が、約二年前のことだ。でも。

結婚してからも、奧さんとの間に子どもができても、娘さんが生まれても、奧さんが足に怪我をしたときも、Lさんは、大家さんの家に通い続けた。

(2)に続く・・・

★2010/09/12
すばらしいイカと貝とキエンさん(タインホア省ラムソンホテル)

わたしたちが泊まったホテルはTrần Phú通り253番の「Khách sạn Làm Sơn(ラムソンホテル)だ。
九階建のまあまあ新しいホテルだけれど、西洋風でもないしベトナム風でもないし、なんとなく会社のビルみたいで、ロビーもエレベーターも階段も、無機的な感じがした。

もらった五階の部屋は、よかった。ツインで広くてお湯も出てエアコンも使えた。シーツもきれいだった。隣や上下からの音も聞こえなかった。ただ、バスタブの丈が長いというか、高いというか、だから浴槽に入るのも出るのも、ちょっと苦労した。窓際やカーテンのちかくに来ると、黴のにおいがしたけれど、ホテルのまわりの風景はよく見えた。

いちばん良かったのは三階の「Nhà hàng Lam Sơn(ラムソンレストラン)」。とくに魚貝類、イカとか貝とかエビとかが、うーん、おいしかった。だいすきな蟹の春雨炒めもオーダーしてもらった(誰かが「これはハノイの旧市街の料理だ」と言った気がするけれど本当だろうか)。
でも写真の貝の名前が分からないのです。この貝の種類、ベトナム語で何て言うか、だれか教えて下さい。

調査中は支払いをしないので、ホテルも料理も高いのか安いのか分からない。キエンさんという、人柄も事務処理能力も(見た目も)すばらしいベトナム人が、手続きや支払いを全てしてくれているので、外国人料金をとられていることはないと思うけれど…。

イカと貝、もういっかい、たべたい。

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★2010/09/10 鼓面からぬけだしてきたような
(タインホア省博物館3)

20100819_60.jpg博物館の責任者らしい女性が、すてきだった。

用事もないのに喋ってみたくなるような、明るい日のひかりのような、ふわふわのきれいなスクランブルエッグのような、ハノイにはあまりいない感じの女性。

親切で熱心で、アルカイックスマイルで、笑うと口角がそのままきゅーとあがる。銅鼓に描かれている太陽がぬけだしたみたいな笑顔で、ホテルに帰るわたしたちをずっとずっと見送ってくれた。

★2010/09/09 展示物を真剣に見るひと(タインホア省博物館2)

朝はやく起きて、居心地がいいとは言えない車にぎゅうぎゅうと三時間乗って、タインホア省に着くと空がいちまい剥けたような青空で、暑くて熱くて蒸しっとしていて、だからメンバーは疲れているはずなのに、それでも博物館に入ると、一生懸命というか、展示物を見ると興味を持たずにはいられない感じというか、とても「反応」しているのだ。となりにいた子に「おもしろい?」と聞いてみると「おもしろいですね」と即答する。他のメンバーも何かを見ては「ああこれは…」とか「そっかあ…」とかぶつぶつ言って、一人でうなづいたり、メモをとったり、首をかしげたりしている。

こういう光景をみると、小学生の時の社会見学を思いだす。どこかの工場や科学館や歴史館に行ったときのこと。見て歩いて説明をきいて、そして最後に感想を言わせられるのだけど、だいたいの子は「感想っぽい」ことを言う(ちなみにわたしは、前の子が言ったことを繰りかえすか、ひたすら沈黙を喋るかだったように思う)。でもひとりかふたり、自分の言葉でいう子がいた。大人や先生を気にせず、感じたことをちゃんと言う子。

そういう種類の子は、博物館や史跡で、展示物や目の前にあるものを、じぃと真剣に見ていた。大人の話を聞いていたかどうかは知らないけれど、でも学校でのテストの点なんかは良くて、教科書の朗読なんかも上手で、でもなぜか瞬発力のいる競技(50メートル走やドッジボール)は下手で、ときどき疲れた大人のような顔をしたり、独りごとを言ったりしていた。いつも好きなものと嫌いなものがはっきりしていた。そういう種類の子とわたしは会話ができなかった。

話をすこし戻して、誤解を恐れずに言うと(本当はちょっと恐いけど)、展示物を真剣に見ている人やヒストリアンを見ると、あの「大人っぽい小学生」たちが大人になって、ここに集まっているのではないか、という気がしてくるのだ。あの頃、決して接触がなかった種類の人たちと、いっしょに車にのって、ご飯を食べて、博物館に来ていると思うと、何て言うのか、とても奇妙なことのように思えて、いっしゅん混乱する。何が言いたいのかわからなくなってきたけれど、とにかく、まわりまわって再会できてしまった、という感じだ。

あ、いま気づいた気がするのだけど、気づいた勢いで書いてしまうと「大人っぽい子ども」は変わらないのかもしれない。変わらないというか変えられないというか、だから大人になると「子どもっぽい大人」になるのかな…。えーと、立証はできないですけれど、うーん。

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★2010/09/08 銅鼓のくすんだ蒼い眠り(タインホア省博物館1)

タインホア省は、観光地としてはサムソンビーチ、食べ物はネムチュア(サワーソーセージ)や海産物、歴史的には黎朝の皇帝レロイ(黎利)や、バーチウ(婆趙)の出身地、そしてドンソン文化にまつわる遺物や銅鼓がたくさん出土したというので有名なところだ。だからタインホア博物館にも、ドンソン文化に関わる遺物がたくさん置かれていた。

博物館は、七つの展示室に別れていて、そのうち三つ<タインホア省前近代><ドンソン文化><銅鼓>の部屋を見せてもらう(ちなみにドンソン文化は、紅河を中心に成立した東南アジア初期の鉄器文化のことで、銅鼓は銅製の片面太鼓のことだ)。

銅鼓の部屋がおもしろかった。大小さまざまの銅鼓が、はだかのまま置かれていたり、白い台の上に陳列されていたり、プラスティックケースの中に納まっていたりして、だいたいは、頭でっかちで、まあるくて、酒器みたいな形をしている。みんな、色あせた蒼い眠りの中だけれど、鼓面や側面には、太陽や日のひかり、植物や花、鳥や蛙、動物たちの模様や紋様が描かれている。

どんな人たちが、どんな時に、この銅鼓を必要としたのだろう。そこでは、どんな風に響いたのだろう。目の前の銅鼓は答えてくれないけれど、でも一枚の絵が飾られていて、そこからは遠いざわめきが、すこし、聞こえてきそうだった。もっとこういう絵があるといいのに。

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★2010/09/04 つるつるの立派な椅子にすわりながら
        (タインホア省文化スポーツ観光局応接室)

応接室には、ぴかぴかひかる大きな木製の椅子が並んでいた。肘かけや背もたれもあるのに立派すぎて寛げない。その応接室の上座には、ホーおじさんの肖像画と、銅鼓の面がかけられている(わたしが今までみたホーおじさんの肖像画は、美化や理想化がほとんどされていない。デップチャーイだったのだ)。

室長が別の会議が入っているらしく、なかなか来ない。用事で一度ホテルに帰ってもらったWちゃんもなかなか来ない。応接室で、写真をとったりメモを整理したり、ホーおじさんの肖像画の真似をしてみたり、サンダルをぬいだりして、室長とWちゃんを待つ。待つ。

だんだん、Wちゃんのことが心配になってくる。ホテルからここまで、タクシーだと3分くらいで着くはずなのに15分すぎても着かない。でも最終的にはぶじだった。どうもタクシーの運転手が「サムソンビーチに行こう!」とWちゃんを誘っていたらしい。誘拐されてもう会えないんじゃないかと思った。再会できてよかった。

30分ちかく待ったあと室長が現れる。本当に忙しいらしく短い挨拶をかわしたあと「博物館にどうぞ」と誘導される。

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★2010/09/03 ロビーのまん中で風にふかれる人
         (タインホア省文化スポーツ観光局)

この夏、タインホア省に行った。省内にある14世紀及び15世紀の歴史遺跡の現状をみる、というM先生の研究プロジェクトにアシスタントとして参加した。

タインホア(清化)省は、ベトナム北中部にある省で、首都ハノイから国道一号線を150キロほど南下したところにある。ハノイから、ハーナム省のフーリー市、ニンビン省のニンビン市を通って、タインホア省に入る。車で、タインホア省に入るまでは約三時間、タインホア市のホテルまでは約四時間かかった。

地方に調査に行くとき、第一日目は、省の文化スポーツ観光局にいって、局長や室長にあいさつをすることが多い。その後はだいたい博物館に誘導される。そして二日目から調査がはじまる。午前中に調査地にむかい、インタビューしたり写真をとったりして、午後ホテルに帰ってきてノート作り・データ整理をする、というのがヒストリアンの調査スタイルだ(今回は午後も外だったから、夕食後にデータ整理だった)。

ホテルに着いたあと、ぎらぎら晴れてまぶしい日ざしのなかを、首や背中に汗をながしながら、文化スポーツ観光局にむかう。タインホアはハノイよりも暑い。その温度差にHちゃんの身体がついていけないらしく、さっきから、ぼうっとしている。

文化スポーツ観光局のロビーに入ったとたん、ある彫刻が目にとびこんでくる。大きな牙をもつ象のうえに女性が立っている。足にちからをいれて自分の身体を支えていて、片手には槍をもち、もう片手は手のひらを前方に真っ直ぐにむけている。はげしい風が吹いていて(あるいは象の進む速度がはやいらしく)女性が着ている上着の裾はひるがえっている。足はみえないけれど何だか骨太っぽく、目や眉間にちょっと憂いがあるけれど、凛として雄々しい感じ。そういう男性っぽいものとは対照的に、ウエストは引きしまっていて、胸はまあるい。

となりにいたY先生に聞く。「この人、だれですか」「だれってあれでしょぅ?バーチウでしょぅ?」「どうしてここにいるんですか」「だからぁ、タインホア出身なのぉ!」「へえ」「へえってぇ、あなた知らないの…。うううぅ、でもねぇ…」「はい」「このひと、実在しなかったかもしれないんだよねぇ」「へえ」「ベトナム人はその説、ぜったい認めないんだけどねぇ」。

そのあたり、わたしは分からないけれど、歴史的・ベトナム的に有名(あるいは重要)な人物なのだから、もっとちゃんと見ようと思って、バーチウと象にちかづく。くるくるまわって見てみる。でもやっぱり視線は、まあるい胸にいく。地球みたいにまるい。どうしてこんなにまるいのか。クレオパトラの鼻のようなものなのか。変。

そして、二階の応接室に通される。

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★2010/09/02 メモをとる、地図をひらく、エッセンスを訳す。

この夏も、おおくのヒストリアンが来越した。そして今年も、タインホア省の共同調査に参加させてもらった。

ベトナム史の研究者は、変わった人ばかりというのは有名な話で、共同調査の参加は数回目になるし、もう慣れるころかなと思っていたけれど、今回もだめだった。どうしてか分からないけれど、ヒストリアンは会うたびにちゃんと変態で(ごめんなさい)、それがその都度、パワーアップされている(気がする)のだ。慣れさせてくれないことに慣れてしまったといえば、慣れたことになるのかもしれないけれど…。

変態具合を書きだすと長くなってしまうので、きょうは、調査中に感動したこと。

▼メモをとるはやさ
ヒストリアンはメモをとるのが上手だけれど、とくに、WちゃんとY君、そしてTさんのメモのとり方は、半端ではなかった。とにかくメモをとるメモをとる。メモ神様の申し子のように、メモをとる。さささーととる。どんなに車がゆれても、リュックの肩紐がずれていても、荷物をたくさん持っていても、口に何かをくわえていても、雨がふっても、カッパを着ても、地面がぬるぬるでも、汗が目に入りそうでも、おなかが空いていても、疲れていても、暗くても、まぶしくても、メモをとる。メモをとる。どこでいつ、こんな技術を身につけたのだろう、と最後まで感動しながら、メモをとる行為を眺めていた。

▼地図をひらく回数の多さ
ヒストリアンは本当に地図がすきだ。すきというと語弊があるかもしれないけれど、お金を忘れても地図を忘れるな、というくらいに地図が大事。出発前のホテルのロビーで、朝ご飯を食べるまえに、昼食を食べたあとに、車のなかで、歩きながら、立ち止まりながら、ひらく。地図をひらく。

地図をひらく行為は、調査地にむかう車中でいちばん盛んに行われる。今からどこに行くかを確認する。いま走っている通りの名を確認する。自分のいる場所を確認する。川をわたれば川の名前。あたらしい村に入れば村の名前。地図も何種類かあるようで、それらの地図をメンバーにまわしていく。まんがいち現在地を確認できなかった場合、車中は騒然とする。「今はどこだ今はどこだ」と事件が起こったかのように緊迫した状態になるのだ。それが解決すると、よかったよかった、という風にはならなくて、どうして分からなかったのかを考えはじめる。

わたしと、Hちゃんだけ、ふうん、という感じで、地図をみなかった。というより、わたしにはそもそも地図がまわされないのだけれど、Hちゃんはまわされると「車にようから」といって受けとらなかった。仲間がいてうれしかった。

▼M先生の通訳
ベトナム語のヒアリングが少しずつでき始めたせいもあって、M先生の通訳をきいて、ようやく驚くことができた。無駄なことはごそっと省き、エッセンスだけを残し、さらに、まわりの人にききやすい言葉と音量で訳す。今さら遅いと怒られるかもしれないけれど、感動しました。初見でビオラをさらさら弾くような通訳だった。

本日の画像は作者の意向により、クリックしても大きく表示されません。

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★2010/09/01 ヒストリアン賛歌

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あなたが
史料によりそうとき
それは祈
それは祭
しずかにながれる
信仰のささやき

あなたが
地図をひろげるとき
それは水流
それは丘陵
かすかにきこえる
大地のリズム

あなたが
古城をみわたすとき
それは旗
それは戦
とおくでなりひびく
政のとどろき

あなたが
石碑をみあげるとき
それは稲
それは汗
あかるくかなしい
農民のうたごえ

ヒストリアンは
旅にでる

百年も
千年も
こえて

越南の
ひとびとが
奏でた
真実に

耳をすます

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